息をしたくて
五月になったというのに、何この寒さは、という感じの日もありますが、着実に季節は変化しています。
良く晴れた暖かい日には軽やかな気分になり、自転車で出かけてみたりするのですが、この人のいない街のうら悲しい風景は、やはりどこかうら悲しいのに変わりありません。どうにも愛着がもてない。

遠くへ行きたい。
もっと活気のある街に。人が生きて動いているのが肌で感じ取れるような街に。
都会の雑踏にも寂しさはあるでしょうけど、それでもひとりひとりの寂しさや孤独とはべつに、街そのものは息をしている、愛憎も無関心も、光も闇も、ごちゃごちゃしたすべてを呑み込んで、確かに生きている。

息をしたくて。
この死んだように黙って横たわり続ける街を出たくて。
ときどき、脈絡もない思い出のカケラが心をよぎります。あの街、あの場所、あの人、あのこと・・・
涙がこぼれそうに懐かしい、すべてのこと。
とどまれない、思い。

息がしたい。
遠くへ行きたい。







| Fragments | 11:59 | comments(0) | trackbacks(0)
木嶋被告が壊したもの
婚活詐欺事件の木嶋被告について。

確たる証拠がないなか、裁判員裁判で、よく死刑判決がでたなぁーと思います。誰がどう見ても、疑わしいのは事実なんですが、裁判員は素人なので、「死刑」という思い切った決断をするには心理的なハードルが高かっただろうという意味で。難しかっただろうなぁと。すごく世間の関心を集めた事件ですよね。だからこそ余計に。

なんでここまで人々から注目されたかというと、まあ、木嶋被告がクロなら、女だてらに凶悪な連続殺人をやってのけたということになりますし、なんといっても無視できないのが、彼女の容姿。あの容姿がもっと普通の、どこにでもいそうな感じなら、へえー、こんな普通に見える女の人がこんな犯罪をねぇー、とは思ったかもしれませんが、ここまでのインパクトはなかっただろうと。いやいや、犯行がね、通り魔的に誰かを撲殺したとか、保険金目当てに夫に毒を盛ったとかいう内容なら、あの容姿でもまだ「そういうこともあるのね」程度だったと思いますが、女の武器(?)を利用して男を騙して大金を巻きあげたあげく殺した、とあってはね。容姿と内容のギャップというのか、もう、あからさまに言ってしまえば、「容姿的にこんなハンデをしょってても、そんなことができるんだ?」というね、驚きですよ。
だって、まず、美人じゃない。普通に垢ぬけない、ぶさいくな顔。
で、あの、トドもびっくりの太り加減。
世の中で、美しいとか可愛いとされている女性像のことごとく反対へと向かってますやん。
あれで、あれで・・・?
あの容姿で、男性に向かって「援助してほしい」「月100万はないと」なんて、どの口で言うの、みたいな。

「女は可愛いがいちばん。可愛い子って羨ましいなー」
大学に入りたてのころ、友人がそう口癖のように言うのが、やだなーと思ってました。
だって、私なんて美しくも可愛くもないと自覚してましたし。男って顔のつくりという、そんな表面的なものしか見てないの、という反発も覚えましたし。でもまあ、なんとか外見を出来る限り服や化粧でとりつくろい、内面的なもの、個性なり人としての魅力なりを獲得すべく努力していたら、人並みに恋愛ができたりしたんで、それはそれで私らしくていいんじゃないかとも思ってました。

「女に求められるのは、何をさておいても美しさ、可愛さ」

大多数の女性はそう思ってます。女として生きる上で、それは大前提。
美しくないと、可愛くないと、何もかも台無し。だって愛されないし。
ある女性が社会でどんな輝かしい業績を残そうが、その容姿があまりによくなければ、
「でもブスじゃん。この人個人に、女としての幸せはあったのかしら」
なんて考えてしまうのが、同性である女。社会的なステイタスより、どれだけ愛されたか。異性にモテたか。ちやほやされたか。そういうところでシアワセの尺度を決めてしまう。勝ち組だ負け組だなどと、やらかしてしまう。
だからこそ、ファッションにこだわり、化粧や髪形にこだわり、プチ整形やらエステにも大金つぎこむんでしょう。そういう昔から続く固定概念をぶち壊してくれたのが、木嶋被告なんです。

「こんな人でも、男って性の対象として見たり、結婚の対象として考えたりするものなの?」

綺麗じゃなくていいの。
スタイルが悪くてもいいの。
こ ん な レ ベ ル で も、 本 当 に い い の ?
世の中の女性の大半が、「うっそーっっ!!!」って叫びたくなったのは、男たちが唱える「可愛いは正義」「※ただし美人に限る」という呪文に、彼女の容姿があまりにも反していたからなんです。こう言っちゃナンですが。
そりゃーね、ただ性的な欲望を満たす道具として扱われていたというのなら、納得もしようがあるじゃないですか。どんな分野にも常人とは違う嗜好をもつ「マニア」がいるわけだし。あのぷよぷよした肉の塊にダイブしたいんだー、と思う男性がいたとしても、そうかー、奥の深い世界だなぁと感嘆するだけです。しかし、大金を巻きあげるとか、結婚を前提としたつきあいとなると、話は別でしょ。大金は、相手に対して信頼とか愛情がまったくなければ、そう易々と渡さないものですし、結婚となると長年一緒に暮らす伴侶ですから、それ以上の気持ちがないと駄目でしょう。それが。それが・・・

こ ん な レ ベ ル で も、 本 当 に い い の ?

木嶋被告が被害者たちを殺したか殺してないか、そこんとこはわりとどうでもよくて、それ以前にやったこと、「あの容姿でありながら複数の男から大金を巻きあげて貢がせた」というところに女性は反応してるんじゃないでしょうかね。もう男という生き物がわからないっ、と。

メディアでしか目にしてないので、実際に動いて話す姿を見れば、印象が変わるのかもしれませんが、それでもものには限度というものがあるでしょう。いくら声が可愛いとか髪がつやつやとかいわれても、あのばーんと存在感のありすぎる二の腕は変わらないんだし。
家庭的な雰囲気がよかったのかと思えば、相反するセレブ生活やってますし、太っていたのが良かったのかと思えば、もっと気だてがよくて大金を貢がせたりしない太った女性はいるはずだし、性的な嗜好だけならマニアックな風俗で満足できるだろうし、いったい何が良くて男たちは彼女にお金を貢いでいたのか、まったくわかりません。謎です。

まるでオウム事件の麻原みたいなんですね。
あのときも、私、
「なんでこんな清潔感のカケラもないぶさいくな中年男に若い女性信者がよりつくの?」
と思ってましたから。
でも、それを友人に言えば、「いや、私には彼女らの気持ちがわかるかも。あんな容姿でも、実際に会ってみたら、すごく弁舌巧みで、いい人に見えるかもよ」と。
信仰と男女の性は、同列には語れませんが、高学歴理系でもあんな麻原のペテンに騙されるということと、美女でなくても男は貢がせられるということ、なんか似てるような気がします。
何の気なしに皆がもっている固定概念の破壊という点で。
| Fragments | 13:45 | comments(5) | trackbacks(0)
母はいつまでも、母
昼ごろ、大阪の母から宅配便が届きました。中身は、ショルダーバッグと服です。
いつの頃からか、母は「もう歳やから我慢するのやめた。いつまで生きるかわからんし、いま買いたいものあったら、いま買うねん」と、開き直りました。いや、お母さん、いつも自分の好きなもん買うてはりますやん、と私なんか思ったんですが、まー、母にしてみればまだどこか気兼ねというか遠慮してたんでしょうね。母が自分のお金で自分のもの買うのは別にとやかく言うことじゃないけど、気になるのは、買い物の失敗の多さ。
「このバッグ、買ってはみたけど、ちょっと小さくて使い勝手悪いねん」
「この服、店員さんに勧められて買ったけど、やっぱちょっと派手すぎるわ」
・・・我慢しないってのは、買う前に考えないってこととは違うで、お母さん。
私は衝動買いしないほうなので、母にそう言ってあげたい気もするんですが、母には母のエクスキューズがあって、
「だって、もし駄目でも、あんたにあげられると思って・・・」
って、それは言い訳になってるのかなってないのかわかりませんが、思うに、母親ってのはいつまでも母親なもので、子供が大人になっても、風邪をひいてないかとか、ちゃんと食べてるかとか、着るものはどうしてるかだとか、とかく世話をやきたがるんです。その延長線上に、「嫁いで行った娘に、何か買ってやりたい」ってのがあるらしいんです。

自分が美味しいものを食べればあの子にも買って送ってやりたい、似合いそうな洋服を見かければ買って送ってやりたい・・・「だけど、気ぃ使ってやめてんねん」とのこと。何を気にしてるかと言えば、「もう結婚してるのに、娘可愛さであれこれ買って送ってやったりしてたら、働いて稼いできてるあんたのダンナの顔が立たんがな」ということらしいです。専業主婦なんだから、ダンナに稼いできてもらって、ちゃんと生活してるんだから、あれこれ買ってやったりしたら、まるで、「ウチの娘は満足な生活させてもらってないんじゃないか」と心配してるみたい・・・なんだそうです。うーん、複雑な親心やなぁ。いや、私は何を買ってもらいたいということもないので、それでいいんですが。
そういう娘可愛さとは別に、単純に自分の買い物したい欲求を満たしてるという面もあって、父に対してのエクスキューズにもなりますよね、つい買っちゃう自分に対してのエクスキューズにも。母の心理としては、
「これ、ほんとに必要かな?でも欲しいなぁ、んー、そんなにめちゃくちゃいいとは思わんけど、旅行のときとか良さそうやん・・・買おうかなぁ、やめよかなぁ・・・そや、買って帰っていっぺん着てみて、あかんかったらあの子にあげよ、そやそや」
という感じなんだと思います。
そういうノリで買ったバッグとか服が、回ってくるんですよ、私のところに。
「なー、あんた、これこれこういうバッグあるねんけど、使う?私が持つよりあんたのほうが合うと思うねん」
うちの母とはよく一緒に買い物に行ったりしていたので、お互いのサイズや好みや似合うものは知っています。なので、あまりハズレはないんです。じゃーいただくわ、となることも多いです。私が実家に行ったときに、母に使われず放置されていたものを発見し、もったいないからとねだって持ち帰ることもあります。レスポートのバッグ、ミントンのポーチ、シャネルの化粧パレット・・・
そんなこんなで、身の回りに母からもらったものが増殖していきます。
先日も、ふと鏡で自分をチェックしてみると、母にもらった白いタートルにジャケット、ショルダーバッグ、それに、自分が買ったグレーのパンツと黒い靴、だったり。今も、ちょっとうっすら肌寒いなーと羽織っているのが、母からもらったカーディガン。いやもう、モノに埋もれて暮らさないためには、ときめかないものはキッパリ断るべきなんでしょうけど、ま、持っててもいいか、着てもいいか、と思うものがけっこうあって。困るんだか有難いんだか。やっぱ有難いのかな・・・
あげるわ、というのを素直にもらっておく。
これも親孝行のうち?

この連休に夫の実家にご厄介になったときは、帰りに新品のバスタオルやフェイスタオルをたくさんもらってきました。義母も物を捨てない人で、前には高級カトラリーセットを発見して、いただいてきました。そうそう、お皿の五枚セットももらいましたねー。
そういうのって、みんな、お中元、引き出物とか香典返しなんかなんですよ。それを使わないで整理してとってあるんです。どうせ置いてても腐らないし、独り暮らしだから部屋は余ってるしで、リサイクルに出すとか処分することを考えないまま、積み上げてあるんですね。あの世代の特徴でしょうか、もったいないとか、いつか使うから、とか思って捨てないのは。いや、確かに倹約は美徳なんですけど、もうこうなったら、しまいこんで使わないことのほうがもったいなくないですか?ちょうど、うちのタオル類に傷んできたのが何枚かあったので、新調させてもらいました。色あせたタオルはフローリングの床を拭くのに使って捨てます。

母の日に、これといってしてあげることもない私ですが、帰省した折、小さな額をそれぞれにプレゼントしてきました。小さすぎる見返り。でも、なんでもいいんです、ありがとうは言葉にするもの、かたちにするもの。思ってるだけじゃダメだとわかったから。
ありがとう。
おかあさん。
ありがとう。

私にも、子供がいたら、母の日には何かしてもらえたのかな。
「おかあさん、いつもありがとう」
なんてピンクのリボンでラッピングされたハンカチや財布やカーネーションなんかをもらえたりしたのかな。
そんなささいな見返りなんか求めて子供を育てるわけじゃないけど、やっぱり嬉しいと思うのかな。
おかあさん、おかあさん、おかあさん。
私はついぞ言われることのなかった言葉だけど、なんてあたたかい言葉なんでしょうね。
おかあさん。
| Fragments | 19:01 | comments(0) | trackbacks(0)
人生はやりなおせるか
ゆうべ、ダラダラとテレビをつけていて、なんとなく流れでNHKの「プロフェッショナル」になったんですが、それが自殺防止に力を注いでいる和歌山の藤藪牧師さんの話。あれ、この人のドキュメンタリー、前にも放送されてなかったっけ、と思いながら、それでも違う撮り方・編集をされていたので、またなんとなく見てました。

こんなに全国ネットで話題になったら、この人の元に救いを求めて押し寄せる人が多くなって大変なんじゃないか、なんていらない心配をして、それでもまあ、こういう「信仰」という精神的支えのあるポジティブな人ならなんとかするんだろうか、などとぼんやり思っていたら、藤藪氏の放った言葉に、いきなり胸のつまる思いがして涙をこらえるのが大変になりました。

「人生は、やりなおせる」

なんて希望にみちた言葉。そう信じてるんですね、この方は心の底から。
いつからでも、何歳からでも、「これは違う」と気付いたそのときから、人生はやりなおせる。そう信じてるから言えるんですね。きっぱりと。
まー、はっきり言って、若いなぁ、やっぱり、と思いました。

私だって、ある程度の年齢までは思ってました。
人生は、やりなおせる、と。
だけど、今は違う。やりなおせることもあるし、やりなおせないこともある。
たとえば大切な人とつまらないことで喧嘩をして疎遠になった。時がたち、思いなおして、また以前のように付き合おうと連絡をとってみたら、その人はすでに亡くなっていた・・・なんてこともあるんです。
この前、うちの母が、
「口から出てしまった言葉は、もう取り消せない」
というようなことを言ってましたが、双方生きていて顔を合わせる機会があり、なにかの加減で、もうその言葉がなかったかのように振る舞えたとしても、「あのときこう言った」という事実は、消えない。どちらかが覚えている限り。そういうことなんです。

受験、結婚、就職、出産、離婚、転職・・・いろいろ人生には分岐点がありますが、そこで選び取った道が間違っていたとしても、そう簡単に「やりなおせる」ことと、「やりなおせない」ことがありますよね。出産なんて、命を生み出し育むという大仕事ですから、生んだあとから、こんなこと向いてなかったとか、生みたくなかったけど仕方なかったと言っても、そこに生きている我が子をどうやったら「間違った選択肢だったからやりなおす」ことができるんでしょうか。なかったことにできない。
今の結婚は自分が望んだような夫婦の形じゃない、だから離婚したい・・・若いうちはまだ次の相手が見つかるかもしれないし、見つからない間は元気で働くこともできる。だけど、60や70になって熟年離婚・・・できますか。誰かべつの人と「やりなおそう」と思えますか。べつに理想の生活じゃない、それどころか失敗だと思ってる、だけど今さら、全部をチャラにしてやりなおすことなんてできない。普通はそうなりませんか。

「人生は、やりなおせる」
確かに、やりなおせることもあります。ですが、やりなおせないことも少なくはないんです。今、私が医者になりたいと思い立ち、努力に努力を重ね長い月日を勉強や実習に費やして、医者になれたとしましょう、でも、医者として働ける、お役にたてるのは、残された人生のあと何年ですか。それを考えたら、私はもう医者として人生をやりなおせはしない、という結論になる。これが大学生ならどうですか。単純に年齢的なことだけ考えたら、やりなおせる、と言えるでしょう。
やりなおしたくても、やりなおすことができなくなってくる、だから慎重になる、それが大人、年齢を重ねるということ。勢いや思いこみで生きられないから、現実を見据えて賢くなるしかない、それが年齢を重ねるということ。

30の頃、私は何も間違ったことなんかしていないと思っていました。
天に恥じることなく、人に恥じることなく、自分は今死んだらきっと天国へ行くんだ、それぐらいの思いこみで生きていました。けれども、時がたち、いろんな選択肢をつきつけられるたびに悩み、ここまできた今、「何も恥じることはない」なんて、とてもじゃないけどおこがましくて言えません。
誰が「恥じることなどないよ」と言ってくれたとしても、私自身が知っています。
あの時ああすればよかったのじゃないか。あちらの道の方が良かったのじゃないか。もっとやれることがあったはずじゃないのか。すべきことがあったのじゃないか。なぜしなかったのか。なぜ頑張らなかったのか。臆病だったから、怠惰だったから、知恵が足りなかったから、自信がなかったから・・・どんな言い訳をならべてみても、胸を張って「我が人生、恥じることなどなし」という境地にはなれません。
やりなおせるものならやりなおしたい。
だけど、はるか遠い日に選んでしまった何かを、なかったもの、べつのものにはできない。危うい選択の積み重ねの上に、人生は成り立っていて、どれかひとつを今からとりかえるなんてことはできないんですよ。
今から新しい自分になる、新しく生まれ変わる・・・言うは易し、行うは難し、です。
「やりなおす」
ポジティブで綺麗な言葉だけど、それに追い詰められて、ますます居所を見失っていく人たちもいるのではないか。
これまでの選択の結果、なぜ自分はここにいるのか。
充分に複雑な選択をしてきた年齢層は、各々の結果を引き受ける潔さと狡猾さを、むしろ持つべきではないのか。
「やりなおせる」と、今さらむやみに信じることよりも。
なんだかそんなことを考えさせられました。
| Fragments | 15:01 | comments(0) | trackbacks(0)
おしゃれをしよう
一週間ほど、大阪に帰省していました。
いやぁー、やっぱええわ、大阪は。って帰るたび思います。生まれ育ったところだからっていうのもあるけど、適度に都会でしょ。退屈しないんですよ。電車に乗ってても、上品で綺麗な人から奇妙奇天烈な人まで、いろいろマンウォッチングできますし。人がいるなー、うわー、たくさんいるなぁー、「生きてる」街だなーって思います。

で、帰省している間にちょっとしたパーティに出席することになってたんですが、前の面接のときみたいに、「そうだ、着ていく服をどうしよう〜」状態だったんですね。フォーマルドレス着るほど大げさじゃないし、カラースーツで充分だと思ったんですが、それがないんです。いや、昔のものならあるにはあるけど、なんだか全体の形が野暮ったくて、今取り出して見ても着られない。どうしようー、と悩んで、デパートへ。いやもうデパートで服を買うなんて久しぶり。二十代で、まだ働いてた頃は、よくバーゲンとか行ってたんですけど、最近とんと御無沙汰。なんでって、そういうシチュエーションがなかったもので。専業主婦で子供がいなかったら、参観日とか三者懇談なんかに着ていく、ちょっときちんとした洋服ってのがいらないんですよ。配偶者の仕事によっては、必要な場合もあるでしょうけど、ウチはそんなことなかったし。だからこんなときにあわてることになるんです。
デパートには、義母と行きました。ちょっとビビりながら、ミセス向けと思われるフロアをぐるっと一巡り。あーん、ぜんぜんどのブランドがいいとかわかんないよぅ〜(泣

若いころはこれが着たいなってピピッとひらめいたものなのに、ここ数年、カジュアルなものしか買わないし、第一、年齢が・・・私って、いったいどんな格好をしたら年齢的にふさわしいの?そのへんのスーパーで買い物したり田舎で暮らすぶんには、どうせどこへ行くにも車だし、気がはるような場所も状況もないし、おしゃれしたって・・・とあまり考えてなかったけれど、ファッションに対するカンがもう錆ついてしまってるんです。雑踏のなかを歩き、デパート含め、いろんなショップのディスプレィを横目でながめたり、たまにすれ違う人の素敵なファッションセンスに思わず振り返ったり、そういう何気ないことの積み重ねが大事なんだなーって痛感しました。特に、私、昔からファッション雑誌って買いませんし。ずっと学生のころから、街で売ってるもの、人が着ているものから流行を取り入れたり、自分に似合う似合わないなどの感覚を養ってきたんだと思います。カジュアルであれ、フォーマルであれ、そんなふうにね。でも、今は・・・
とにかく、義母と一緒にあれこれ見て、「組曲」というブランドの半そでワンピースにジャケットを合わせて買いました。主張しすぎないピンクベージュの大人しい、それこそ「フォーマルすぎない、ちょっとした会食に」という感じのものです。アクセサリーや髪形、バッグ、コサージュや小物で、すこし華やかにもなりうる便利服。ウエストから下、シフォン素材に切り替えてプリーツになってるスカート部分が気に入りました。洗濯には気を使うけれど、せっかくなので、この夏、着倒そうと思います。

ま、パーティはそれで楽しめたんですが、帰ってきて何気なくネット見ていると、「組曲」というブランドは20代後半ぐらいがターゲットとか、誰かが書いていて、そ、そんな・・・と一瞬青ざめましたが、義母にも一緒に選んでいただいたんだし、無難なものなので、あれは私が着てもおかしくない・・・と思うし、思いたいです。
でもねー、そんなことがあって、今の自分の年齢・立場に合う、ちょっとおしゃれな格好というのがわからないと悩み始めたんです。同年代の友達に訊いても、好みや経済感覚、生活スタイルによって回答は人それぞれだろうし。いかにもお金のかかった迫力マダム・ファッションから、気楽なスポーティカジュアルまでいろいろ。私は、もともとフェミニン志向なのに、生活スタイルがこんななので、冬はジーンズにフリース、ダウンジャケット、夏は洗濯機でザブザブ洗っても大丈夫な素材のワンピースやらチュニックなどで過ごしてましたが、もう少しちゃんと大人の女らしい格好をしたらどうか。いいかげん若い子向けのチープな服はやめて、全体的にもう少しランクアップしたらどうか。今すぐにとは言わないけど、少しずつね。いかにも「服なんか着て楽なんが一番ええやん的オバサン」「無茶な若づくりに精を出すオバサン」って感じにならないように。でも、この歳になって「お金かかってますのよ的迫力マダム」は性格的にも経済的にも無理だからナシとして、他にどんな方向を目指せばいいのか。
ほんとうは「甘さ全開じゃないけど、どこか少女っぽさとか可愛げのある格好」が好きなんだけどなぁ・・・「大人可愛い」というの?それをやるにはどんな服を着れば痛々しくならずにすむのか。第一、オバサンと呼ばれる歳になって、色気は出したくないけど可愛くありたいとかいうのがね、難しい〜
ある程度オバサンになったら、ちょっとむっちりした肉感的ボディに迫力マダム系の服やアクセサリーのほうが、絶対にしっくりなじむと思うんです。それこそが小娘にはできないおしゃれだもの。でも、私は身体つきも貧相だし、性格的にもそういうの合わない・・・たとえ使えるお金がたくさんあったとしても、そっちの方向には行かないだろうなーと。ナチュラルとかほっこりって呼ばれるスタイルも好きじゃない。じゃあどんな?と、私の好きな「船場センタービル」まで行って歩きまわりましたが、なかなかこれといった「出会い」がなく。

しっかし、ネットで検索してると他人のファッションについて多くの人があれこれ書いてます。「今日、見かけた○歳ぐらいの女性は・・・」とか。いや、知りもしないのに、ぱっと見ただけで、なんでその人の歳がわかるの。すごいですね。私、他人の歳なんて判断付きませんよ。肌や髪型、服装、しぐさや全体の雰囲気で、老けてるなーとか、若いなーとか思うだけで。なんだかんだ書いてる人だって、確かめたわけじゃないから、ほんとはわかんないと思うんですね。だから、いろいろ読んだけど、実年齢がいくつだなんて、あまり意味ないと。それより、見た目なんだと。この歳だからこんな服、じゃなくて、もっとパーソナルに、今の自分だからこんな服、それを考えないと駄目だなーと。なんかもう頭がごちゃごちゃしてきましたが、今の自分に「似合っていて」「好きだと思えて」「少しでも外見を良く見せてくれる」もの探しをしたいと思います。
| Fragments | 01:21 | comments(0) | trackbacks(0)
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