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Give and Take
今週から忙しくなりました。
というのも、週に3日、全部で5コマですが、外国人学生のための日本語授業でサポーターをすることになったんです。先生の授業進行に沿って、学生の会話相手になったり、質問をうけたり、わからないところがあれば説明したり・・・そういう役。グループ学習形式ですから、私はひとつのクラスで3〜4人までの学生を受け持ちます。もちろん無償ボランティアです。
学生は、いろんな国から来た院生とか英語の先生とか、あるいは語学留学みたいなかたちで入っている人、それぞれの立場がちょっとよくわかりませんが・・・基本的に日本語のレベルは低いので、普通に会話が成り立ちません。先生は日本語だけで教えるのでなく、英語を補助的に使っています。ですから、私にしてみれば、教室に行くと、いきなり英会話です。といっても英語が母語でない人が多いので、片言でも通じればいいや的な「共通語」としての英語、ですかね。クラスによっては中国人が圧倒的に多いので、受け持ちの学生が中国人ばかりなら、私の判断で補助的に中国語も使います。

本来、そのサポーターは学生を募ってやってるんですよ。私は学生ではないし、大学の関係者っていえば関係者かもしれませんが、たんに教官の配偶者、でしょ。どんなものかと思いましたが、担当の先生に話をしに行き、まあ、今では検定の合格証書もありますし(笑)、似たようなボランティア経験もあり、英語・中国語が少し話せる、ということで自分を売り込みました。で、結果、サポーターの一員になることができました。駄目もとでも、やってみるもんですね。
無償で、けっこう面倒な側面もあるんですけど、自分にとってすごく勉強になります。何でもGive and Takeですよ。まず、先生がどんなふうに教えているのか、実際に見られる。将来、自分が教えようと思ったとき参考になりますよね。あとは、英会話、中国語会話がくっついてくる。自分の脳が活性化されるというか、これ以上、英語と中国語を忘れるのを、少しでも防止できるかも。そういうメリットはあります。メンタルな面でも、インターナショナルな雰囲気のなかに自分を置くことで、「慣れ」ができてきますね。

この「慣れ」って大事なんです。いくら、ある言語を一生懸命に勉強しても、実際、それを話す機会がなかったら、メンタルな面で「慣れない」ですから。日本人のなかで日本語で話しているときと、外国人のなかで外国語を話しているときとは、メンタリティというか性格を少し変えないといけない場合も多いです。日本人メンタリティでは、「こんなこと察してくれてもいいのに」と思いがちなシーンがしばしばあります。だけど相手が外国人でその言葉を喋らなきゃいけない、しかもそんなに流暢にはできない、としたら、もう割り切ってその言葉に合わせてこちらのメンタリティを変えるしかないです。つまり、はっきり言いたくなくても、あえてはっきり言う。そこはもう日本人としての自分でない自分を演じる必要性がでてきます。内心ギクシャクしますけど、それは「慣れ」るしかないんです。
例えば、ある中国人(彼女は日本に住んでいて、日本語ぺらぺらです)と話していて、「あなたは日本語のときと、中国語のときでは、雰囲気がちがいますね」と言われたことがあります。「いい意味?悪い意味?」と訊くと、「いい意味で。中国語のときは、より快活な人に見えます。そして中国人はそういう快活な人が好きですよ」と。まあ、それは私が中国人に向かって中国語を喋るとき、普段の自分より喜怒哀楽、主義主張をはっきり言うようにしてるからなんですね。経験上、そのほうがトクだから、です。私の感覚では、中国とアメリカでは、女だからといって、おしとやかにニコニコしていても、あまりいいことはないですね。エネルギー使いますが、普段の三割増しぐらいに自己アピールしてちょうどいいくらいかもしれません。

とりあえず始めたばかりですから、こんなものかーって感じで、ただ、そこにあるものを吸収する段階ですね。一ヶ月もすれば慣れてきて、もっと楽しんでやれるようになると思いますが。今のところは、いきなり英会話教室!って感じでとまどう面が多々・・・うん。なんとか続けていきたいものです。
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