ほんとのことはわからない
このところ拡大し続けている「美味しんぼ」騒動。もう漫画自体は休載が決まったようですが・・・

原発事故から、もうはや三年、その間、たぶんいろんな物事が変わっていったんだと思うけれど、被災地から離れて暮らしていると、そのあたりのリアルなんてわかりようもないです。
被爆して鼻血が出るって、けっこう重い症状じゃないですか。しかも、感受性の高い子供でなく、そこにずっと住んでるわけでもなく、いい大人が取材のために一時的に福島を訪れた、というだけで、鼻血が出るっていう描写は、たとえ漫画的誇張だとしても、ちょっと胡散臭すぎるというか、常識で受け入れられる範囲を超えてるんじゃないかと、私個人は感じます。

「被爆→鼻血とか抜け毛」って、昔の漫画「はだしのゲン」のイメージですね。ああいうイメージをもっている人がたぶんたくさんいると思います。私たちの子供の頃は、反戦平和教育が盛んで、そういうコンテンツを読まされたり見せられたりしましたから。中には今思えば過激な資料などもあったので、私たちの世代は、かなり強烈なインパクトをもって、「放射能」「被爆」「鼻血」「抜け毛」「死の恐怖」・・・こういう単語なりイメージなりがごちゃっと一塊にトラウマ化してるように思います。なので、「被爆して鼻血」→「うわーっ、怖っ!」となるんですが、よくよく考えてみれば、原爆の爆心地付近で生き延びた人と、今回の福島原発事故周辺に住んでる人たちの状況って、まるで別。戦後の焼け野原ではなし、一応、いろんな技術も進んだ今なら各種検査もされているはずだし、ネット社会で情報筒抜けってところもあるので「福島では原因不明の鼻血を出している人がたくさんいる」とか、「取材やボランティアなどで福島に行った人の中で鼻血が出た人がたくさんいる」という現実があれば、もうとっくに誰かがツィッターや動画サイトやブログなどで公開して大騒ぎになってると思うんですけどね。

そりゃあ、あれだけの事故なんだし、今も収拾しきれてないんだから、付近住民の心身に与える負の影響は大きなものでしょう。いろんな健康被害が出ても当たり前って言うか、まったくないほうがおかしいと思いますが、なんでもむやみに「被爆のせい!」って怖がるのは違うと思うんです。ましてや、ちょっと取材に行っただけで鼻血出す描写とか、いくら漫画表現と言っても、読んでいる人が多い有名作品だし、その影響力の大きさを考えるべきでした。もっとも、作者にしてみれば、読者に対し、原発事故について真剣に考えてもらおうという目的があったのでしょうけど・・・福島に現在住んでいる人たちにとっては、この騒動、どういうふうに見えているんでしょうか。
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ペットショップの猫、その後
前に書いたペットショップの猫たちのことですが、まだ売れてないようです。先日、また見に行ったら、なんとGW特別価格で値下げされていたのが、また元の値段になってました。いやー、売れないんならこのまま下げておけばいいのに・・・と言ったら、隣で夫が、
「そんなことしたら店の信用なくなるやないか」
んー、確かにこの期間中だけ値下げってんなら、元に戻さないと駄目かもしれませんが、そんなの、年がら年中、閉店セールやってる洋服屋だってあるんだし、とにかく早く売れることが大事だと思いますけどねぇ。
古参組二匹は四ヶ月すぎてずいぶん大きくなってきました。もう子猫って感じじゃない。明らかにでかいし顔の輪郭や目の色も違ってきました(子猫の瞳はみんなグレーに近いブルーなんです)。
ガラスのこっち側で見ていた客の一人が、ボソッと
「あいつ。だんだん大きくなってきてるなー」
って、あなたも気にしてるんですか?買ってあげてくださいよ・・・

親元からショップに連れてこられたのが生後二ヶ月ぐらいの頃と仮定して、もうこの狭いガラス箱のなかでの生活が二ヶ月以上にもなるのかと考えたら、可哀想ですよね。ショップを開けてる間、ずっと照明にてらされて、遊んだり寝たりしてるとこだけでなく、トイレしてるとこなんかも遠慮なく見られて、たまには「買おうかな、ちょっと抱っこさせて」と言う客の手にホイと渡されたりして撫で回されたりもして、幼児期にこんな環境で育つなんて、ほんとにストレスたまるし心身の発育に良くないと思います。猫だって情操教育大切なんです。個体差もありますが、子猫時代の経験が、わりと性格に関係してくるようなので。

私はどんなに可愛く見えても「触らせて」なんて思いません。だってこんなショップでの飼育って、どれくらい手間をかけてるか健康に気配りしてるか、そこまで信用できないんです。一見してわからないような病気もってるかもしれないし、うっかりそんな猫に触って、うちのオコタンに何か感染でもしたら困る。うちのオコタンは一匹だけの完全室内飼いで、しかも機密性の高いマンション猫だから、内臓の病気はともかく、感染するような病気やら虫やらとは無縁に過ごしてきたんです。自分ちの猫が可愛ければ、よその猫にはむやみに触れなくなります。

それはともかく、ショップで「子猫のうちに値下げしても売り切る」姿勢があまり強く感じられないのは、いいことなのか悪いのか。
売れない猫がいる傍ら、新入りで来た生後二ヶ月ほどの子猫は、さっさと売れていったりしてます。やっぱ売れ残り組との違いは、大きさと愛らしさですかね。顔と身体の柄などが全体的にみて可愛いほど売れていく。売れ残ってるのは、言っちゃなんだけど、愛らしさが足りない。要するにぶさいく。
なんかピンときてしまいました。
「わかったわ。なんで値下げせんとこいつらがいつまでも置かれてるか」
「商売やからやろ」
「ちゃう、引き立て役や。こいつらがぶさいくやから後から入ってきた子猫がより可愛くみえて、そっちが売れるんやわ」
「・・・おまえ・・・そんなん言うたんなや・・・」
夫からだいぶ人間性を疑われましたが、そういう商法もアリかも・・・と。

まー、とにかく早くお金持ちの人に買われていってもらいたいものです。
| Fragments | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0)
続・高野山の宿坊に泊まる
前の続きです。

さて、あの高野山界隈でたぶん一軒しかないであろうコンビニで、夜、私たちが見たものは!
宿坊で食事を出してくれたお坊さんが作務衣のまま、アイスクリームを選んでいた姿でした。いや、あのアイスを入れてる冷凍箱がちょうど入り口付近にあって、嫌でも目に入ったんですよ。
えっ、これ、なんとなく気まずいッ!
だって、ついさっき、
「ふだんはどんなものを食べているんですか」
「粗食ですよ、本当に質素な食事です」
なんてやりとりがあったばかり。
いやー、別にお坊さんが自分でアイス買って食べててもいいと思うんですけど、「粗食」って強調されていただけに、外で買い食いできるとか想定してなくて。せまいコンビニですから、まあ、お互いにちょっと会釈して、それだけなんですが、あんなとこで会わなきゃよかったと思いましたね。

高野山って、パワースポットだの聖地だの言われてますが、じゅうぶん俗っぽいところです。今回いろいろ見聞きして、嫌と言うほど思い知る結果になりました。
翌朝、六時半から勤行が始まります。まだ寒いお堂には、正座できない(したくない)人のために、椅子も置いてあります。人が十数人ほどしかいなかったので、私たちはその椅子に座ってお経を聞いてました。きちんと袈裟を着たお坊さん数人で抑揚をつけて歌うみたいに唱えるんですね。私たちは特に信仰心もないし、ものめずらしいなぁってだけですが、ちゃんと数珠をもって一緒に唱えている人もいました。それが終わったら、堂内の見学と住職さんのお話があったんですが、まあ、堂内の文化財などの見学はいいとして、住職さんのお話。これがお金にまつわる話ばっかなんです。重要文化財などもっているお寺は、それらを修復したりちゃんと保存しなければならない、もちろん国からもお金は出るけれども、お寺からも出さないといけない、それがいくらかかるとか、そういう話です。聞いていると、一部を修復するだけで、ほんとうにものすごい億単位のお金が動く。歴史の古いお寺は大変なんですよ、ということ。高野山のどこにいっても寄付金を募った箱が置いてあるのがこれでわかりました。行ってみてポスターで知ったんですが、来年は1200年祭だそうで、去年は伊勢参りが流行ったけれど、来年話題になるのはきっと高野山ですよ。それに向けての準備が進んでいるみたいです。
そういうお金の話を延々されて、部屋に戻ると朝食が用意されていました。これまた質素なお膳です。ご飯にお味噌汁、がんもどきの煮たものと、お漬物、市販の海苔・・・って感じかな。旅館でこんなの出されるのは宿泊料からしてありえないですが、宿坊だからってことで。

チェックアウトしてからは、奥の院まで散策しましたが、私の記憶より、どこもかしこもきれいになっています。木立のなかに苔むしたお墓が並んでいるのはイメージ通りですが、舗装された道とかね、つきあたりのいろんな施設、公衆トイレ、みんな新しくてきれい。汚いほうがいいとは思いませんが、ここまでやっちゃうと、ふつうに観光地って感じで、かえってありがたみがない、みたいな・・・私はそんな気がしました。奈良の法隆寺なんかもそうなんですね、ずっと昔はまだ世界遺産になってなかった。そのころは、あんまり人気のない、さびれたお寺、それが風情あったんですが、今は拝観料も高くなって、そのかわりいろんなところに手をかけて新しくして、昔感じていた侘びさびの世界というか、幽玄な古代ロマンというものがなくなってしまった。奈良博物館だって、昔はもっと妖しい感じがしてた。なんでもかんでも新しく、きれいにすればいいってもんじゃないんだなぁと思うんです。もう少し「あまり手のかかってない自然さ」がほしい。

しかし、いろいろとお金にまつわる話を聞いたせいか、お坊さんって何のためにいるのかなぁって。
いやぁ、弘法大師が高野山で即身成仏したのが事実だったとしても、後世、真言宗がこんなふうに伝わるとか、自分自身がこんな観光の目玉に使われるとか、想像してなかったでしょう。キリスト教と教会だっていろいろあるだろうし、どんな宗教でも同じなんでしょうけど、たとえば日本の仏式のお墓とかさ、仏壇。あれ、将来どうするのって思いませんか。少子化で、そんなの後生大事に守っていく人がいなくなるでしょう。人間の活動範囲が広がったのに、対応できてないんですよね。子孫が外国で暮らすことになったり、子供を生まず独身のまま老後を迎えることになったり、先祖供養って言われても、物理的にできないじゃない。葬式やら法事は、死んだ人のためよりも、むしろ故人を偲んで生きている者たちのためにあるものだと思うんですが、そのやり方がね、続いていかない。私にしても子供いないし。甥っ子がいるにしても、自分より先に死ぬ可能性もあれば、遠く離れた土地で彼ら自身の家庭をもつことだってあるだろうし、いついつまでも、物理的に近くにいられるなんてぜんぜん限らないんですよね。私なんか、もう自分の死後、少ない親戚縁者に負担のかかる従来通りの葬式や供養なんて、してもらわなくてもかまわないと思っていますが、そういう人が多くなってきたら、人が亡くなると戒名や法要でお金をもらっているお寺はどうなるんでしょう。淘汰されていきますよね。歴史的に価値のある建造物や美術品は後世に遺すべきだと強く思いますから、それらの番人として、やはりお坊さんは必要、私のなかではそんな印象です。
だって、みんな信心してないじゃない。
なんとなくそうするもんだと思って、葬儀屋の言うとおりにお坊さん呼んでお葬式するけど、それまでお経のひとつも唱えられず、信仰心なんかまったくなかった人が、死んだら突然戒名もらって仏教徒として供養されるとか、宗教的にはふざけた話ですよ。そういうのを疑問に思わず習慣として続けていたけれど、これからの世代はちょっとやってけないんじゃないかなぁと。なんか、高野山に行って、自分や自分の身内の墓やら葬式やらどうしたらいいのかなってリアルに考えちゃいました。
| Fragments | 09:43 | comments(0) | trackbacks(0)
高野山の宿坊に泊まる
先日、高野山に行き、宿坊に泊まってきました。

近畿に住んでたら、高野山に行く機会ってわりとある気がするんです。学校の行事とか、家族でレジャーとか。
夫は林間学校で行ったような記憶があると言うし、私は家族でドライブがてら行きました。もうどっちも子供のころの古い記憶なので、あんまり鮮明ではないんですが、とにかくお寺とお墓がたくさんある山のなか、という感じ。で、何を思ったか夫が、また高野山に行ってみたいなぁと言い出し、私が、どうせなら宿坊に泊まって精進料理食べようや、と乗り気になり、いろいろ調べてネット予約。簡単ですよ、ホテルに泊まるのと同じ。

昔、高野山に行ったときは父の運転する車で、うねうねとした山道を登っていき、普段は乗り物酔いしない私でも、ちょっと途中で休みたくなったのを憶えてます。あれを繰り返すのは嫌だったんですが、電車でもっと簡単に行けるんですよね。南海高野線に乗って極楽橋で降り、ケーブルカーで高野山駅まで登る。ここから南海りんかんバスまたはタクシーで町まですぐです。乗り継ぎの時間もちゃんと考えられてるし、車で曲がりくねった山道を二時間も登るよりだんぜん楽ですよ。私たちは、ケーブルの高野山駅に着いたあと、タクシーで大門まで行きましたが、千円ちょっとでした。

高野山は細長く狭い町、大門から奥の院まで、頑健な人なら歩いて歩けない距離ではないです。なんなら路線バスもあるので、車がなくてもノープロブレム。ということで、昼前に到着した私たちは、まず大門から歩いて観光を始め、町の真ん中辺りで昼食にし、そのあたりをぶらぶら散策しながら予約を入れてある宿坊を目指すことにしました。お寺が多いので、ひとつひとつは観られないですが、最低これだけはおさえとかないと、というポイントは回りました。気温は大阪の街中よりだいぶ低いです。四月も下旬なのに、まだ桜が散らず満開でした。

世界遺産になったからか、やたら外国人観光客が多い印象です。あちこちがよく整備されていて、こんなにきれいにしてたかなぁと思いました。公衆トイレもウォッシュレットつきでぴかぴか。けっこうゆっくり歩いたけれど、三時過ぎにはチェックインできました。

私たちが泊まったのは、たいていのガイドブックで紹介されているけっこう有名なお寺。あのあたり、お寺はどこでもそうですが、入った瞬間、線香の匂いがきついです。作務衣を着たお坊さんが愛想よく出迎えてくれ、部屋まで案内してくれました。少し肌寒かったんですが、エアコンとこたつをつけて暖めておいてくれていました。部屋自体は古くて隙間風が入ってくるような感じですが、だからこその気遣いでしょうか。こたつのうえに茶菓子とポットなどが置かれ、浴衣に歯ブラシ、タオルも用意してあり、まるで普通の旅館みたいです。ただ、トイレとお風呂は共用です。トイレや洗面所は近年新しくしたような感じで、きれいなんですが、お風呂は古びていました。それでも、一応、シャンプーやソープもおいてあり、ドライヤーもあることはあります。値段を考えたら、普通の旅館のほうがずっと快適に泊まれると思いますが、まあ、文化遺産に泊まらせていただいてるわけで、コンセプトが違います。

お風呂につかってのんびりして、さあ御待ちかねの精進料理ですが・・・ちょっと期待しすぎてたみたい。

おいしさで言うと、どこかの料理屋さんで和定食でも食べていたほうがずっとおいしい。いや、すごくマズイとか少ないとかいうことはないんですが、たぶん、味付けとか煮方の問題だと。本式の精進料理は出汁に鰹節を使わず昆布と椎茸でとる、らしいですから、そういう違いなのかなぁ。全体的に薄味好みの私たちには濃い味付けに思えました。
ちなみに、お膳を運んできてくれた方に聞くと、お坊さんたちの普段の食事はもっともっと質素なものらしいです。普段は肉も魚も食べているけれど、何か行をするとかそういうときに精進料理というか、肉や魚を食べない期間がある、ということのようです。
精進料理、うちの夫はあまり気に入らなかった様子。
私は健康のために、一週間に一度は精進dayにしてもいいと思いますが、やめてくれって。でも、どうせつくるのは私なので、やってみてもいいかも。まー、鰹だしは使いたいからそれはOKってことにして、野菜と豆類だけのなんちゃって精進。

さて、お腹もいっぱいになったけど、まだ七時をまわったところ。ちょっとおみやげでも見て来るか、と外に出ようとしていたら、玄関でお坊さんと会い、もうどこのお店も閉まっていますよ、と言われました。えーっ、そんな。でも、出てみたら、大通りのお店、ほんとに閉まってる。かろうじて一軒だけ、開いているのをみつけましたが、そこも八時には閉めるそう。前にひなびた温泉にいった時も思ったけど、田舎って夜が早すぎ。
暗い夜道を引き返した私たち。でも、一軒だけコンビニが。とりたてて買うものも思いつかないくせに、ちょっと寄って行こうかと足を向けてしまうのが悪い癖。夫と二人で入ったら、そこには思わず目を見張ってしまう光景が!

・・・長くなるのでいったん切ります。
| Fragments | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0)
松柏美術館「上村松園展」
今、大阪に帰ってきてます。
ここのとこ天気もいいので、久しぶりに奈良の法隆寺に行ったりしてみましたが、この時期、奈良や京都はどこも修学旅行生でいっぱいみたいですね。せっかく古都をのんびり散策しようと思っても、がやがやうるさくてうんざりしてしまいました。中学生とかにお寺見せても、あの子達のほとんどが興味ない様子なのに、なんで来るのかわかりません。私自身は修学旅行で伊勢に行ったり蒜山に行ったり、長野にスキーしに行ったりしましたが、海女さんのショーを見たり、自分たちで飯盒炊さんをしてみたり、そのころ関心のない神社仏閣など引き回されるよりよっぽど面白かったし、いい思い出になりましたよ。

で、今日はまた松柏美術館というところに行ってきました。
上村松園という女性日本画家をご存知ですか。だいぶ昔の方なんですが、ここで、特別展 開館20周年記念「上村松園展」〜画道ひとすじ〜、というのをやっているんです。5月11日までです。
私はこの方の絵がすごく好きなんですよ。大学生のころから好きで、展覧会があれば行っていたので、主な作品はもう観てるはずなんですが、今回それ以外に、下絵とかスケッチがたくさん公開されるというんです。まあ、下絵かぁー、と思いつつ、懐かしいし、久しぶりに本物観るか、と行ったんです。そしたら、思いがけず、かなり充実した気分になれました。

スケッチとか下絵も、鉛筆や木炭でなく、すべて墨と筆で描かれているんですが、それが何ていうかとてもいい。色を塗る前の線画なので華やかさというのはないですが、でも、ある意味、完成した作品より表現が細かく、松園先生の描きたいものへの思い、それに向けて磨かれた技術の確かさ、などなど、わーっとこちらに押し寄せてくるような感じなんです。下絵の段階で、それはそれでもう完成された絵、みたいな。
塗りの難しさは、技術もだけど、その時々で入手できる材料、道具などに左右されるところがあると思うんですよね。でも、墨一色で描く線画というのは、そのわかりやすい線だけが表現の手段なので、もう何もごまかすすべがないわけです。それを観て、うわぁ、もうこの時点で完璧な線画を描いておられる、と。
いや、感動しました。下絵があんなに魅力的だとは思ってみなかったので、新たな発見でした。
機会があれば、ぜひぜひご覧になってください。絵を描く人、とくに女性を描く人にとっては「松園先生すごい!」というのがわかってもらえるはずです。今見ても、ぜんぜん古くないんですよ。んー、なんか「絵を描いてみたいなぁー」って気分になりましたね。
| Fragments | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0)
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